竹ちゃんの日々の出来事
広島に原爆が投下されて79年が経ちました。
平和祈念式典で、子供代表が読んだ作文。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。79年前、
広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました
今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きるこ
とができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。私たちにもできる平和への一歩です。
言葉の1つ1つが胸に響きました。
私に何ができるか。願うだけでは平和はおとずれない。
先日、学区の子どもたちと一緒に平和公園での碑巡りに出かけ、広島市立商業高校の生徒さんから平和公園の碑の説明や原爆の惨状についてお話を聞きました。
この時に、平和学習を始めるきっかけとなった、HPS国際ボランティアの理事長 佐藤廣枝さんとお話ししました。
佐藤さんは自らも被爆され、お兄さんを亡くしておられます。
「憎んでも何も生まれない。憎んで死んだ人がかえってくるわけじゃない。それより、平和がいかに大切なことかを語りながら伝えていくことが大事」と言われました。
ヒロシマを知り、平和への一歩を。
2024-08-07 11:07:41
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私は一人っ子で。
近くに住む従姉とは、姉妹のような関係でした。
たわいもないことで笑いあったり、相談したり、一緒にでかけたり、時にはけんかしたり。
そんな従姉が末期がんの診断を受け3年半の闘病の末、亡くなりました。
3年半前。
「お腹痛い」と電話がかかってきて、「落ちたもん食べたんじゃないん?(笑) 輪番の病院行ったら?」って笑いあっていたのに、こんな大病とも知らず。
医師として多くの患者さんを診てきて、治療はどうか、抗がん剤の副作用はどうか、そして最期の時はどうなるか。そんなことまでみえてしまう自分が苦しくて、涙を流す日々が続きました。
そんな時、次男が、「お母さんどうして最近泣いてばかりなん? お母さんの笑った顔みてないよ」と言いました。
そうだ、私がしっかりしなきゃ、姉ちゃんの治療も支えられん。
腫瘍マーカーが上がっても、「誤差よ誤差、様子みてOK」とか、副作用がひどくても、「大丈夫よ。心配ない」と時には嘘をつくこともありました。
「誰かを失うのも人生の一部と呼ばなきゃいけない」とあるバンドが歌っていました。
従姉が旅立った今、何かをしていないと涙が出て息苦しいです。
でも、だれでも出会うことがあれば、別れることもある。
いつか自分がこの世を旅立つとき、お土産話をいっぱい持って、私は精一杯生きたよと自信をもっていえるよう、私も毎日を過ごそうと思っています。
時には大声で泣いて、げらげら笑って。悩むことも怒ることもある。それが生きるってことなんかな。
2024-07-04 13:41:21
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娘が学校で「在日コリアン」について学んでいます。
総合学習の中の平和学習の一環で、今回はこれがテーマのよう。
先日の参観日でどのように考え、どのように感じているかを見に行き、帰って2人で話をしました。
関東大震災でデマにより多くの朝鮮人が虐殺されたこと、戦時中、強制的に本名を名乗ること、母国語を話すことを禁止されたこと、多くの差別の中で在日の人たちが苦しんできたことなどを学んでいるようです。
「どう思った? ここまで漫画とかビデオとかみて」と聞いたところ、
「知らんことがいっぱいあった。かわいそうだなとも思ったし、デマを信じてここまでやるかっておもった」
娘が言った一言。
「日本人がと朝鮮人がとかアメリカ人がっていうのはやめたほうがいいよね。とにかく皆同じ人間なんじゃし」
そう。そうなんよ
過去の過ちは忘れてはいけない。知らなきゃいけない。知らないで人を傷つけたり偏見を持つことが一番怖い。
同じ時代に生きる人として、なに人であろうと、相手を知り、違いも理解し、尊重すること。
すごく大事。
中学生ながら、さらっと自分の考えを話す娘が少し大きくみえました
2024-05-15 12:36:17
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